2016年7月15日金曜日

横浜便り (多分)最終回


こちらは京都の無人寺で咲いていたあじさい。何というブルー!
皆様、大変ご無沙汰をしております。
まだ横浜からお便りしております。

フランスへの引っ越しまで一か月を切り、辛くないかと言えばうそになるけれど、比較的落ち着いた気持ちで過ごしているのでご安心を!


こちらは家の近所のあじさい①
色々な種類のあじさいがあるのですね。
つい最近まで、仲良くしていただいた友人らがそれぞれの国に発って行き、サヨナラパーティやお見送りのオンパレードで、「See you!  Keep in touch!」 と手を振り、お別れする。毎回胸が絞られるような想いでした。

その度に深呼吸しては、何とか平静に戻っています。その秘密は、ウォーキング。
昨年の、忘れもしない(その週、富士山の五合目からちょっとだけ登山を試みて、自分の体力の無さに愕然とし、よって始めたのでした)7月10日より始めたウォーキング
ちょうど丸一年が経ちます。


近所のあじさい②
普段は、山頂公園という横長な丘陵地が家の裏にあるのですが、そのたもとにある、ちょっとしたフィールドをぐるぐる歩いています。
夫と一緒のときなどは、山頂公園に行くことが多く、夫とも会話も子猿たちに邪魔されることもなくて楽しいのですが、それだけだと、距離的に少し物足りないので、私だけいつものフィールドに残ってさらに2、3周。
人で歩く、そのひと時もとても好きなのです。
山頂公園の入り口
目安は5キロ。大体40分ほど歩くとそのくらいの距離になります。
夕方、日が沈む前にスタートし、夕暮れから夜に移るころにフィニッシュするのです。

いつものフィールドは、一周が500メートル弱と、決して長い距離ではないのに、そんな一周の中でも気持ちが動くのが面白く。
紅葉の木がある辺りでは、その葉っぱの色の変化に目を留めたり、カラスや小鳥たちが止まっている大木の辺りでは、落とし物を恐れてみたり。また、そこら辺はウォーキングのスタート地点なので、まだ頭の中では今夜のおかずを考えていたり、さっき出掛けに読んだメールのことを考えていたり、とちょっと忙しい。

それが、少し起伏がある辺りにさしかかると、息を乱さないように注意するので自然と考え事は止め、やがて下りにさしかかった辺りに来ると、風が心地よく、フィールドの芝の色や、そこに差し込む陽の光に気づき、背筋も自然と伸びる。さらに視線を上げてみると、遠くには山頂公園の木々が生い茂っていて、近いところではフィールドの木々の葉っぱがゆさゆさの風に吹かれている。その音、色、風、匂いなどを身体で受け止めてみようと試みたり。

500メートルの、5分弱の中にも、ささやかな起承転結があるわけです。

 
いつものフィールド

500メートルの中にもストーリーがあるように、5キロ歩く40分の間には、もっと壮大といったら大げさですが、感じるものがありました。

夕暮れ時の陽の移ろいの中を歩いていると、自分が日時計になったかのように、時間の経過を如実に感じることができました。なんというのでしょう、移りゆく時間の質量を分単位で体感している、そんな感じです。
その中にいる自分も、刻々と変化している。ああ、時が進んで行ってしまうんだ、なんか切ない~!と思うと同時に、こうして歩きながら、時を刻んでいくということだけでも満たされるものがありました。

さらに、一年単位でみると、こうして同じところを、同じ時間帯に歩いてきたわけですが、
季節の移り変わりを目で、身体で感じることができ、それは何とも言えない喜びをもたらしてくれました。
昨年植えたmûre、ブラックベリーが実を結びました!
もし、ここに永住できるのであれば、毎日毎日こうして歩き、やがて老人になった私は、日時計となり、日めくりの暦となり、時の流れに立ち会う、そんなことができたら、なんて素敵なんだろう、と空想したり。

ランニング・ハイという言葉がありますが、ウォーキング・ハイみたいなものもあり、無心になり、目が妙にクリアに木々の動きを捉える、耳が風の音をキャッチする、一瞬自分がこの自然と繋がったような気がするときもあり、

とにかく、楽しい一時をもたらしてくれた、ウォーキング・タイムだったのです。





……なんて、どうでもいいようなことを長々と書きましたが、
書きたかったことは、こうして、小さな自然の中にたった40分身を浸している、それだけでも、気持ちがリフレッシュされること、また、内面的な発見もあったことです。

ウォーキングしていると、暗い気持ちが立ち消え、明るく前向きに物事を考えられるようになるのです。

さっきまでは、もう帰国しなくてはならないことを辛く思い、もう一年いたかった、とか、がっかり~、と思ってたのに、
ウォーキングしていると、「2年も日本に住まわせてくれてありがとう、なんて有難いことだったのだろう」、となり、

さっきまでは、出来の悪い子猿の将来を憂っていたのに、フィールドでボールを追いかける姿に、
「健康な子供たちをありがとう、素晴らしい少年時代の一ページをありがとう」、とか、そんな感じです。

きっと自然の中にいると、人って謙虚な気持ちになるのでしょうね。

よく言われる、「コップの中の水を半分しか残っていない、と見るか、こんなにある~!と見れるか」、というのと似ていて、ウォーキングしていると、さっきまでの不幸の種が、今は幸せの果実(......は大げさですね、その一切れといったところでしょうか)に感じられるようになる。

そしてさらには、こうして自分の幸せを噛みしめていると、それをどう周囲に還元できるのかなぁ、と考えるようにもなったりしました。


……なんてね!
こんなポジティブな気持ちも、ウォーキング後にビール飲んで、夜ご飯その他の夕方家事・育児セッションを終えるころになると、またいつものイライラばーさんになっているのですが!
それでも、イライラしたり、気持ちが落ち込んでいるとき、
「大丈夫、ウォーキングしたら、気持ちが晴れる」
という手段を知っている今は気が楽です。

フランスでも、ほっとするような自然、ウォーキング・ルートを見つけられるかな。そうだといいな。
もしかしたら次回のブログ更新は、フランスからになるかもしれません。
皆様も、どうぞ素敵な夏をお過ごし下さいませ。


今月も後半分ですが、こちらで コラムを掲載していただいています。
「フランス貴族に嫁いでみたら」
何卒ご贔屓に!