2016年2月22日月曜日

桜前線第一号!


週末に三浦半島の隣、伊豆半島まで足を伸ばしてきました。
夫が張り切って きれいな写真を たくさん撮ってくれたので、フォトログにします。

※写真を転載される際は、etranger137.blogspot.jp とURLもご一緒にお願いいたします!

城ヶ崎にて
・・・・・・と言いたいところだけど、潮吹き公園から撮った写真かも。

河津まで足を伸ばし、一足早い花見も済ませてきました。

見よ、この桜色の春霞!!
花一輪一輪でみると、ソメイヨシノより、河津桜の方がきれい?
どう思います?
私にとって伊豆といえば、日本文学だったり、温泉だったり、熱海だったり、どっぷり日本なのですが、
ちび猿が、車の中からも、「ハワイみたい、ハワイみたい」というのです。
わからないこと言うなぁと思っていたのですが、
城ヶ崎を散策しているうちに だんだん、「ハワイみたいかも。このごつごつの海岸線、そしてジャングルのような自然は、うん、確かにハワイ島だ」
と、ちび猿の言うことが わかってくる。

ふと、立て札を見ると「城ヶ崎は、大室山の噴火で流れ出た溶岩からできた」とある! まさに、ハワイ島と同じではないですか。

先入観ない子供の感覚は鋭いです。

兄猿が、「ハワイまで行かなくても、車で来れたね」
というのが小憎らしい。
青い空、蒼い海!What else? 
What else? 富士山まで付いてくる。
伊豆、いいところでした!
二月のいけないところは、
「もうすぐ春!」
と春を待ち望み、
なんとなくいいことありそうな気分になって、
人生に根拠ない期待を持ってしまうこと。
そんなんだから、五月頃まで待っちゃって、「あれ、いいことなんてなかった」とがっかりしちゃう。

今年は、期待なんてしない。
欲張り禁止。
立春を、素直に、額面通りに喜び、
花一輪一輪を愛で、
毎日毎日、歩いて歩いて。
そんなことを自分に説くこの頃です。
もう一枚オマケ。
良い一週間を~!

2016年2月15日月曜日

月曜日はリセットデー

Happy Valentine's day from Bert and Earnie  
皆様、一週間が始まりましたね!
昨日のバレンタインデーは横浜も23度まで上がったとか。心地よい一日、子猿たちは日中の大半を公園で過ごしました。
最近、子猿たちのブームは、セサミストリートのアーニーとバートのコントです。

セサミストリートで育った私。子供時代はいつも心にEarnieが居ました。
「アーニーはママの親友だった」
と「親友」という漢字をテストで覚えたばかりの子供たちに言ったから、バレンタインデーには、上の写真のようなチョコが来たのかな?
兄猿なりに考えて、卵の殻にチョコレートを流し込んで顔を作り、オレンジピールとピスタチオの殻で顔が出来ました。
「かわいくできたから、しばらく食べないで」
というので、はい、食べません。

さて、今日は月曜日。朝は昨日の暖かさが残っていました。
先週、「最近、小さなトラブルが続いててさ」、と友人に愚痴ったら、
「大丈夫、立春の辺りから、運気が変わるんだって」
と励みになることを言われ、そうか、そういうものか、と思いつつ、寒くって立春なんて、実感なく……
それが、今朝は春到来を予感させる陽気じゃないですか。よし、どれ一つ!と、常々汚れが気になっていた玄関を掃除しました。
いつからきれいにしていなかったのだろう。汚れを掃き、水を流して清めたら、気持ちがすっきり。

大体、月曜日ってそういう日ではありませんか?
週末はのんびりしたいし、いつもより料理したり、外出もするから、家の中は放ったらかし。
月曜日の朝、皆が出掛けたあとは、何だか散らかっている。
それを一つ一つ片付け、洗濯機を回し、食洗機も回し、ゴミを出し、食事も週末のちょい残しが冷蔵庫に溜まっているから、それを朝・昼・おやつに食べ、と、家の中を徐々に片付ける日。
掃除機をかけ終わったころには、私の気持ちもスッキリしてくる。
一週間、頑張ろう、という気になってくる。
サイクルってやつですね。
少しずつ、少~しずつ、前に行こう。


刻々と冬の寒さが舞い戻っている今日の午後ですが、先ほど、街路樹の木蓮が咲き始めているのを激写しました。
そろそろ花粉症の薬を貰ってこなくちゃだわ。
春近し。
でも油断は禁物。
しばらくは、寒さや運気と慎重に駆け引き。

皆様も引き続きご自愛くださいね~。

2016年2月4日木曜日

やさしさ格差

最近、兄猿が少しだけ大人になってきたように感じます。
今10才半です。
口数が少し少なくなり、
発言には、少しだけ彼なりの洞察があったり。

最初にこの変化に気付いたのは、彼が、小さな子供のことを「かわいいね」と言い出したときです。
9才までは、幼い子供は、自分の作ったレゴ作品を壊したりする、要注意人物としてしか見ていなかったのに、
ある日、クラスメートの弟を「こんなことして、かわいいんだよ」と話してくれて、ほほー、と思って聞いていました。

最近はまた少しそこから変化があり、なんというか、もう小さくない自分を認識し始め、小さい子たちに、「ぼくも小さかった頃は、こんなんだったんだろうな」という失った自分を投影して、懐かしみ、慈しみ、愛しんでいる、そんな感じです。
というのも、小さい子を見ると、「僕もあんなことしていた?」と聞いてきたり、自分の小さい頃の写真をみて、「げー!」とか、「なにこれ~」と絶叫しつつも、愛しんでいるところから、そう推理した次第で。

従兄弟が素晴らしい写真ソフトを持っていて、こんな加工をしてくれました。
Merci, Renaud!
そして、これって、「僕も、小さかった頃は、こんな風にかわいくて、そして、パパ・ママ、そのほかの大人達が僕をかわいがってくれた」という記憶(写真からの後付け含む)から、「小さい子はかわいがるものだ」みたいな認識が生まれたのかな?と思ったり。

話変わって、先日は、最近転入を経験したお子様を持つママ友に会いました。
新しい学校に、子供たちがすんなり入って行けたそうで、「よかったねぇ~!」と、安堵。
私自身、転校転入でイジメを体験しているし、昨今のメディアで恐ろしいイジメの実態を聞き知っているだけに、ほっとしました。

彼女のところは、近年に二回ほど引っ越しを経験しているのですが、どちらの時も、周囲の子供たちが優しくて、「いっしょに遊ぼう!」と声かけてくれたりで、スムーズに新環境になじめたそう。

そういえば、うちの子猿たちも、パリからこちらに来たとき、近所や学校の子供たちが一緒に遊ぼう、一緒に行こう、と声かけてくれて、その優しさに感謝し、かつ、少し驚いたことを思い出します。

昔は、新しい子供が来ると、興味があっても、素直に「遊ぼう!」と言えなかったり、ちょっといじめてみたり、そんな駆け引きの中から友達を作っていく、という感じでしたが、今はDay 1から、仲良く遊ぼう!と、実にシンプルで直球な子供たちなのです。

そのほかにも、夕方、公園でウォーキングしているときに見かける子供たちが、とっても愛らしく、元気、そして仲良く遊んでいて、のび太君な子もいなければ、ジャイアンもいません。

先述のママ友曰く、「近年、日本でも『体罰はよくない』とか『褒めて育てる』というのがある層には行き渡っていて、その効果として、子供たちの民度が上がっているのではないか。」ということでした。

福祉や子供のカウンセリングに詳しい友人も、
「もしかしたら、子供の貧困層が増え(16%!!)、教育格差とともに、そういった、こどもの優しさにも格差が生まれているのかもね」
と教えてくれました。悲惨らしいです、子供の貧困。やるせない。

やさしさ格差……
「民度」が上がった階層もあれば、放置され、虐待され、飢え、怒りや哀しみに精神を乗っ取られた階層もある。

先ほど、川崎の中1(13才)の少年がむごい殺され方をした事件の裁判についてのニュースで、犯人は、子供のときから、「しつけ」という名の虐待を受けていたというのを読み、ふと、こんな出来事、会話を思い出したのでした。