2015年3月10日火曜日

3月11日に想うこと



明日は東北震災が起きて4年目ですね。
被災者、残された家族の方々はどのような想いで明日を迎えられるのでしょう。
亡くなられた方々の鎮魂と、生きていられる方々の心の傷が少しでも癒えますよう、
心よりお祈り申し上げます。

先日読んだ工学者の小出裕章氏の記事に、3/11を機に、『ああ、本当に良い時代は終わったんだな』という認識が広まった、と在りましたが、本当にそうだな、と思います。
3/11で、原発の問題が露呈されたとともに、政治家の無能さも報道され、安全神話が根底から揺るがされ、不安になったところに、安倍政権。そしてウクライナ、テロ。日本だけでなく、世界でも平和に対するコミットメントが薄れているように感じます。
最近我が家の仲間入りした起き上がり小法師たち
なすびが兄猿に似ている
そんなことを憂いていたところ、こんなグラフを見ました。
英エコノミスト誌(3月7日号)、「未消化の歴史  Undigested history」という、昨今の日本の歴史認識問題に対する解説と提案(?)記事の中にありました。
ドイツのドレスデンにおける空襲は欧州ではよく語られていて、歴史を知らない私でも知っておりますが、日本の空襲の犠牲者の数は諸外国ではあまり知られていませんが、実にその何十倍。圧倒的で数です。これを広島と長崎を合わせると、ざっと、50万人の犠牲者です。ハーフミリオンです。その酷さを実感するために比較すると、4年前に私達にあれほどの涙を流させた東北震災の死者・行方不明者が2万人ですから、その25倍です。
更に、この犠牲者は一般市民です。戦争に携わっていた人ではないのです。
なんとむごい。
だからこそ。
だからこそ、だからこそ、だからこそ。
だからこそ、もうこの戦争のことはページを繰るべきだと思うのです。
この数字を胸に刻み、犠牲者の悲しみを忘れない。でもページは捲って前に進もう。

東京裁判が勝者による審判だった、とか、原爆を投下したアメリカは国家として謝罪するべきだ、とか、色々思うし、聞くけれど、もうそんなことはいい。
勝者による審判だったかもしれないが、それを正そうとして動いた他国の裁判官。弁護士らが居たことに感謝しよう。そして、負けたらこうなることを知った上で、戦争という愚行をしたんだから、しょうがない、とも思います。謝罪の気持ちがない人に謝罪を求めても、またされても意味がないとも思います。

そんな過去は「消化」し、こんな悲劇が二度と起きないように、日本は世界においてどういうことができるか、ということを考えるべき。それが敗戦国としてのプライドだと思うのです。
ぐじぐじしているところなんて、見られたくない。胸を張って前に進む姿を世界に見せつけてやりたい。

平和憲法はその一つ。世界に対して、戦争はするな、という強いメッセージを発信する、有効な手段だと思います。どこかで、平和憲法をノーベル平和賞に推薦していると聞きましたが、そんな宣伝活動も良いと思います。

日本はずっとこの方向に進んでいたと思うのです。それが、不景気だったり、平和ぼけする中で、不幸な気持ちになってきて、その最中に3/11があって、その気持ちのやり場を外に、過去に向ける政治家やマスコミがいてメンドクサイことになっているんだと思う。
「いやーね、最近の日本」「ほんとほんと」
……と小鳥たちも言ってそうでしょ?
今日は東京大空襲から70年たった日だそうです。
そして明日は11日。
せっかく生きているんだから、まじめに生きなくちゃ、と思いました。
どうか、毎日こう思えますように。
すぐにだらけちゃったりしませんように。

(色々理解が浅いのに書きましたが、何卒お許しを)