2014年12月23日火曜日

風は冬色

先週は兄猿でしたが、今週はちび猿が風邪で寝込んでいます。

そんなこともあり、せっかくの冬休みですが、旅行もせず、のんびりしています。
これはこれで好き。
家族で、日本で、日常的なフツーの冬を過ごすなんて、夢にも思っていませんでした。
今頃、フランスでは、義理の家族が集まっているかと思うと、何故かニヤニヤしてしまう私です。

昨日は、ママチャリで所用をこなし、気づけば20キロほど走りました。
自転車道を走るとき、頬を冷たい空気がこすって行く、そして風景が流線になって後ろへ後ろへと流れていくと、ああ、こういうの、昔よくあったな、と子供の頃を思い出します。

それは子供の時の自転車なのか、「トムは真夜中の庭で」の一シーンなのか。
「トム……」では、最後の方に、川が凍っているのを子供たちがアイススケートしながら下って行くという場面があります。

冷たい空気を切るようにビュンビュン滑る。頬は真っ赤になり、耳がちぎれそうなのも感じない。転んだらすごいことになるけれど、転ばないと信じて飛ばす飛ばす。

このシーンはまるで自分が滑っているかように、ドキドキして、凍てつく空気を実感しながら読んだっけな。

(ここまで書いておいて、これ「トム…」じゃないかもしれない。「ハヤ号セイ川をいく」かも、です。確認しておきます。)

約40年後の今、ママチャリに乗り、買い物袋をかごに入れて、風を切る母猿。
でも、もう子供の頃のような無鉄砲な乗り方はしない。
どこか、おびえた走りをするようになっちゃった。

後方に続く兄猿をチェックすると、頬も耳も真っ赤、目はスリルに輝いている。
一度この快感を知ってしまったら、もう止められないね。

今日はイブですね。ちび猿の熱が下がれば、山手カテドラルの聖夜御ミサに行く予定です。

皆様はどうされるご予定ですか?
Wish you a Merry Christmas!
すてきな聖夜を~♪



2014年12月15日月曜日

最近の兄猿

今年も登場、聖歌隊のネズミどん。
ご無沙汰しております。師走に入り、文字通り、クリスマス・ショッピングやら、学校の用事やらで走り回っておりました。

子猿たちも学期末でイベントが続き忙しくしてましたが、冬休みに入った途端、緊張の糸が切れたのか、日曜日に兄猿が熱を出しました。

最近また背が伸び、すっかり少年と化した兄猿も、熱にうなされ寝ている姿はまだまだ幼く何故かほっとする母猿。


熱を出した前日は、こちらに来て以来仲良くしていた友達に、冷たくされて、とまどい、悔し涙まで浮かべていました。


それでも、翌朝は、熱っぽい顔をしながら、

「きっと、昨日は、自分の家に大勢の人が来て、大きいコもいたから、興奮して変だったのかも。きっと今度会うときにはいいコになってると思う」
といつもながらのポジティブ・シンキングです。

2014年、兄猿にとって絶好調すぎるくらい楽しい一年だったと思います。最後にちょっとがっかりすることがあって、そして熱のおかげでちょっとスローダウンするくらいでちょうどいいのかな?


夏に日本に来て、英語環境のインターに放り込んで「どうかなぁ」と思ってたけれど、インターの子供たちは、のどかというか、穏やかというか。また一クラス12名前後と少人数なこともあり、みんなやさしく、お誕生日にはクラスの男の子全員を招いてくれるし、みんなに受け入れられて、兄猿、とてもうれしかったと思う。


パリの学校も良かったけれど、私立とはいえ、1クラス30名以上いれば、グループ化するし、グループ化すると孤立するコもいる、フランス人は小さな意味でコンペティティブなコが多いと思うし、勉強に対するプレッシャーも強かったし、......今振り返ると、なんていうか、もっと緊張を強いられる環境だったと思う。


今の学校は、この点においては、まさに逆。プレッシャーをかけない、自信を養う。これを徹底しているよう。

一つの例を挙げると、小学校4年生(日本のシステムでは3年生)では、まだスペルについてうるさく言いません。私のように、それ違う!汚い!と怒鳴っていると、書く喜びをしぼませてしまうらしい。今は、想像力のまま、思ったままに、自由に書くことが大切とか。(それにしても、字汚いし、解読不可能なんですけど……)


カリキュラムも、算数と音楽、日本語こそあれ、他の、国語、社会、理科という科目はなく、代わりに「読むアトリエ」「書くアトリエ」「課題」というクラスがあります。
読むアトリエでは、グループで本を決め、それぞれに読んでは、疑問に思ったこと、面白い表現と思ったところ、語彙の発見などを話し合うようです。
書くアトリエでは、小説を書いているようです。登場人物のキャラクター構築とか、指導があるよう。
「課題」というのは、たとえば、最初の課題は「脳」。脳の各部位の働きなどをグループで調べていましたっけ。その次には、人の感情について調べたのかな?最後にはいっちょ前に、パワーポイントを使ってプレゼンしたようです。

この学習法が、兄猿にはとても楽しいようで、先生やクラスメートもポジティブなコメントを寄せてくれるもんだから、やる気が出て、最近は「ボクは小説家になるかも」とか、「発明家になるのもいいかも」などと言ってます。以前は「パン屋になる、そしたら食いっぱぐれないから」と手堅い(?)こと言ってたけど、今はもう少し自分の可能性を信じる気になってきたのかな。

だじゃれ好きのちび猿
一方、家ではダラダラ、永遠のベイビーなチビ猿も、学校ではそれなりに集中力を持ってやってるよう。「彼は言葉もままならないのに、いつも果敢にユーモアのセンスを発揮しようとしているのが素晴らしい」とコメントを頂きました。
……これが「素晴らしい」ことかどうかは分かりませんが、英語できなくても、ふざけようとする、アヤツのふてぶてしさが、ある種、うらやましかったりもします。

……さて、こんな兄弟猿をイメージして書いた子供向けの小説、ついに紙での出版準備が整いました。第一巻は1月中に紙の本としてアマゾンにて発売される予定です。

児童書なので子供には紙版がいいと思うのですが、もし「読んでみたい」という大人の方がいらっしゃるのでしたら、Scribdという米大手サイトに電子書籍版をアップロードしました(無料)。これをEbook リーダーなり、スマホなり、PCなどで見て頂ければ幸甚でございますです。

ただ、このサイトは、ルビに対応していなく、たとえば、「対応たいおうする」という風に漢字とひらがながダブルで表示されています。ウチの子猿たち向けに、小2以降の漢字全てにルビを振ってあるので、読みにくいようでしたら悪しからず....。

何卒よろしくおねがいいたしますです。
電子書籍版のURLはこちらです↓
イサムとタケルのミラクルジャーニー 

お風邪など召しませぬよう、ご自愛くださいね!
また行きます!

2014年12月2日火曜日

ちょっと自己分析

花はいいですね。わぁ-、という気持ちになる
皆さんは、子どもの時に何になりたいと思っていましたか?
どのくらい強く、そう思っていましたか?

私は特に何かになりたい、と思った記憶がないです。
「こういうのって自我がない」というんだよなぁ、あれ、そういえば自我ってなんだろう、と思ったところから、今朝の自己分析が始まりました。

「自我」で検索すると、まず、心理学的な意味の自我として、フロイトの考え方がトップにでます。

私の、「5分間ネットリサーチ」で、いい加減に理解したフロイトの自我論は以下の通り。

人間の性格・性質は、「エス」「自我」「超自我」の3層により作られている。ふむふむ。


学校のプレゼンテーションのために
兄猿が書いたスケッチ。(女性は私らしい)
「人は自己表現できないとどうなるか」
という、深く哲学的な題目だったけれど、
結論は、「ボクだって話したい」
という単純なものでした
・「エス」というのは、本能的な部分。分かり易い例は、赤ちゃん時代。コントロールされていない、動物のような精神レベルのこと。

・「自我」というのは、エスの「~がしたい、欲しい」という欲求を、現実見据え、諦めさせたり、できる方法を探したり、という判断する機能らしい。

・「超自我」というのは、親や先生、社会から植え付けられる道徳観だそうです。

この3層が幼児期に発達し、精神形成をしていく、という……
なるほどねぇ。

ただ、果たして3種の自我はバランス良く相互作用しているのでしょうか。

たとえば、私はエスが強い人間だと思う。眠くなると我慢できないところとか、空腹になると機嫌悪くなるのとか。

こういうエス型人間って、周りに結構いない?
そうやって考えると、3種の自我のアンバランスさが性格の特徴となっているとも言える?

エス型--ま、私みたいな、動物的な人ですね。暴力を抑えられない人というのもエス型でしょう。
一説には、人が戦争をするに至る理由は、自我や超自我に押さえつけられたエスを解放したいという人間の本能がゆえ、といわれているようです。

自我型--「現実的な感覚を持っていて、自分の欲求を実現させてあげよう、と調整に努力する機能」を持っている人というのもいるいる。夫はこれだな。友達にもいるいる。
自我をしっかり持っている人は、現代の理不尽な社会の中で 自己実現に苦しむ宿命なんだと思う。頑張って欲しいです。

超自我型--親などの道徳観、価値観が強過ぎて、その呪縛に苦しんでいる人って、老若男女、国籍問わず、いると思う。
そして、子育て中の身としては、親の意見を押しつけ過ぎないようにしよう、と思いました。

さて、始めに戻ると、子どもの頃、なりたいものを聞かれ、漠然とイメージしたのは、家族を持つ自分でした。要は、主婦ってやつです。

それだけ。

自我がないでしょう? 心理学的にいうなら、まさにエス(子孫を残したいという願望)と超自我(親と同じようになろう)に支配されている感じ?

その後も、明確な自我を持たずに時間が経ってしまった。
これはイヤ、ああ言うのもイヤ、といった、否定の自我はあるんだけど、「こうしたい!」というのが中々見つからない。
いろいろと仕事もしたけれど、どれも良い経験ではあるけれど、でもがむしゃらさがないんだよねぇ、私って人は。

それが最近になって、書くことが好きってことに気づき、自分のエス(だらけたい、昼寝したい)をたしなめながら、せっせと書いています。
この年でようやく芽生えた自我ですからね、大切にしないと。
子ども向け児童書はこんな表紙の予定です
皆さんは、エス型、自我型、超自我型、どれですか?
上手に三層が機能しているタイプですか?