2013年10月26日土曜日

「桑田さんと水村美苗さん」 ~~日本語へのオマージュ


今日も一日、ペンキ塗りをしていました。

今週、来週は学校が秋休み。子猿たちは田舎に引っ込んでます。
そこで母猿は、ペンキ塗りという大仕事に取り掛かっているのでした。5月には台所を、8月にはサロン(居間)を、さかのぼれば、何年か前に子猿たちの部屋の、そのあと小さ目の洗面所の、その後に書斎のペンキ塗りをして経験は積んでいます。如何にツライ作業かも知っているので、少しずつ、楽しみながら(Jamais!)やっているわけです。

今日までのところ、4年ぶりに子猿部屋(あっという間に汚くするのね、男子って奴は!)とサロンの仕上げ、ついでに窓拭き……。
ストライプが歪んでしまったけど、いいのいいの、私はBig pictureな人だから……
という次第で、次回私に会ったら、「エライねぇ」と労って頂きたく……。だって、エライよね?ワタシ。

よって日曜日から今日まで、出勤日以外はですね、朝から日が落ちるまで肉体労働者です。そして夜はビールをラッパ飲みして精神まで肉体労働者風。

でも寝る前には、水村美苗さんの「日本語が亡びる時」という論文風のを読んで、野生化した精神に知性をインジェクトしているのです。

水村美苗さん、この夏以来はまっている作家です。
「本格小説」については既に書いていますが、とにかく好き。ユーモアと知性と人間らしさと謙虚さ、全てが感じられる文章。
この「日本語が亡びる時」は英語がブイブイ言わせている現世にて、日本語とは、日本語の将来とは、ということについてちょっと学術書風に書かれています。

本冒頭の、モンゴルの作家や、ポーランドの作家など貧困の中で書いている、それぞれの環境の中、それぞれの言葉で書いている、という下りにはぐいぐいと惹かれました。

そして今読んでいるのは、現在の日本語が「国語」となっていく過程、現代文学が出来上がる過程というのを教えられ、なるほどねぇ、と思いました。

明治維新のあとの話らしいですよ、日本語。それまでは書き言葉は漢文だったそうです。
夏目漱石などが留学から戻ってきて、外国語を翻訳するという行為を通して国語が形成されるという。そして東大で文学を教えながら自分の言葉で発信したいと思って書き始めたのが、小説だったんですって。

まだ本の半ばですのでどんな風に話が進むのか知りません。夜のお楽しみです。

さて一方、桑田佳祐さんは皆さんご存知の通り。
先日の芸能ニュースでは暮れに恒例だったAid for Aidsのチャリティコンサートを復活するというのを読みました。「ちょっとした病」の摘出後、ご本人自身がまだ健康に不安を持っていらっしゃるような気配の中、コンサートをされるという勇気に感動。
本当に、数々の感動を与えてくれる桑田さんなのです。
Top of the pops by Keisuke Kuwata でござい
今日はTop of the popsという昔のベスト盤を聴きながらのペンキ塗りです。
大好きなアルバムだけどしばらく聴いていなかった。
特にDisc 2の方。懐かしいKuwata Band時代の曲が何曲か入っています。

当時、桑田さんはロックと日本語がどうしても合わない。どんなに日本語を崩したり、他の言語と組み合わせても足りない。そこで英語たくさんで歌ってみた。そんな時代の曲がBan Ban Banでした。

当時(80年代終わり)「どうして英語?」といった批判も多く、ご本人もその後考えを改めたようです。
そんなことを思い出していたら、ふと、これって、夏目漱石の逆なのかな、と思ったのです。漱石は、自分の言葉、日本語で(漢文ではなく、英語でもなく)表現をするために日本語で小説を書いた。桑田さんは、自分の音楽を表現するために英語で歌った。

私はKuwata Bandのころの歌も好きです。英語でも日本語でも桑田さんの歌は桑田さんの歌に出来上がっている。
第一、たとえ好きでなくても批判できない。こんなに自分が納得行く表現を試みる真摯な姿勢にはシャポーです。
桑田さんの英語が変、という声も聴きますが、桑田さんの歌であるかぎり、そんなの気にならない。そういう次元じゃないと思うのです、桑田さんの才能。あれは日本語でも英語でもなくて、ロックでもポップスでもない、「桑田さん」というジャンルになっていると思う。

この時代の桑田さんの歌はエネルギー一杯で才能が清水のように湧き上がってるよう。
すごいなぁ。
One dayの最後に「ううううう♪」って桑田さんが高音でハミングするところなど、いつかライブで聴く機会があったら、私、あまりの感動に気絶すると思う。
どうでもいい画像をいれてスミマセン。
先日蛸型の凧がパリの空を舞っていたものですから……
今の日本の音楽のことはまるで知りませんが、英語堪能だったり海外育ちの人たちが一杯だし、マーケティング戦略でパン・アジア受けを狙っている時代でしょうから、「英語でなくちゃ」とか「ロックとは」という狭義にこだわる人もいななそう。(今は何にこだわる時代なのだろう。)

夏目漱石のころは明治維新があって、日本が大きくうねっていて、将来がよく見えなかった。でも日露戦争で勝って市民の気持ちはちょっとバブってて。そんな中で漱石は民に伝えたいことがあって、それを伝えるの漢文でない、もっと気持ちにフィットした言葉、「話し言葉」の国語でなくてはだめだった

桑田さんはビートルズに影響を受けて、その後はアメリカ文化の波が来て、でも現実の毎日はコテコテに日本していて、バブルに浮ついていて、そんな中で自分の音楽を作ったのよね。

そんな2人の共通点は、どちらも「日本」なことだと思うのです。

漱石の情景的な表現はいつも私を日本の温泉宿や本郷界隈に連れてってくれるし、桑田さんの「海」は、聴くと必ず高校の頃の由比ヶ浜に連れってくれます。

言葉というものにこだわった2人、英語の津波が押し寄せる中で日本語のあり方、自分のあり方、大げさだけど日本のあり方を考えた2人の作品がとても「日本」であることは自然の成り行きか……。

あれ? いつの間にか、「桑田さんと夏目漱石」になっちゃった。ま、ペンキ塗りは無事今日のノルマが終わったし、いいっか。

とにもかくにも桑田さんと漱石がいるお蔭で、海外在住組の私はいつでも「どこでもポケット」がごとく、日本に戻れるので、感謝感謝、なのでした。


追伸:「伯爵夫人のマナーブック」の最新号がアップされています。
お時間あるときにでもご笑読くださいまし


2013年10月20日日曜日

フランスの通信簿 、副題「バカたれ、兄猿」

先日、子猿たちが学校の通信簿を持って帰ってきました。
通信簿受け取るたびに、「えっ、もう?」とビックリなのですが、年に何回もらうのかしら。
フランスの小・中学校は9月に新学期が始まると、7週間於きに2週間の休みが入ります。高校も同じかも。
多くの親が反対しているこのバカンスのリズム、具体的には、10月下旬に秋休みがあり、次はクリスマス休み、そのあとは通称「スキー休み」という冬休みが3月にあって、その後は春休みが4月・5月にかけてあり、最後に2カ月もの長い夏休みとなります。
……ということは5回も通信簿があるのか。


全てを忘れ、秋休み中の兄猿
子猿の学校の成績の付け方はとても明瞭で、各科目・カテゴリーのテストをやり、その点数がそのまま評価となります。
各テスト20点満点で、国語は、文法、話力、読解力、スペリング、ヒヤリング、etcの項目ごとにテスト。
算数も、計算、図形などの項目があり、小学校3年生の兄猿は英語も評価対象です。
これらテストの得点の個人平均が出され、クラス平均が出され、自分の立ち位置が明確にわかるようになっているのです。たとえ、高得点だとしても平均を下回ればまずい。
シビアでしょう?

そうそう、スポーツは別途評価表が来るけれど、これは重きを置かれていません。
あと、音楽や図画工作などのクラスがないのです、子猿たちの学校。義務じゃないそう。
スポーツもちょっと前までは授業のカリキュラムになかったそうですよ。

一応、総合的な授業態度とか、素行についての評価もあり、これはABCの三段階評価。

通信簿が7週目のどこかで渡されることから考えると、休み明け5週目、6週目はテストが実施される。そうなると残るは4、5週間だけ。休み明けの最初の一週間は、児童も休みボケしているだろうから、本格的な授業は3、4週間か。これを5学期(?)やるから、年間15、20週間。
やたら非効率な気がします。一方でやってる内容みると、結構な量ですから、詰め込んでるのでしょう、先生方。
こんなんでいいのかい?フランスよ。
親の心、子知らず。のどかな兄猿
さて、兄猿。
通信簿もらう度にじわじわと下降気味。とにかく今は勉強癖をつけることをモットーに、夏休みや週末は少しでもいいから机に向かうよう仕向けてつもりだったから、その成果がまるで出ていないことに母猿はがっかり。

奇しくも通信簿をもらった日は、中学生の子を持つ友人らとお昼を一緒し、大きくなればなるほどいかに勉強が大変か、いい学校に入れるのがどれだけ大変か、というのを聞いたところだったので、かなり心配にもなり。

中学・高校のシステムは、ですね、パリ近郊の公立校は東京近郊とほぼ同じシステムで、各小学校、中学校に学区が定められていて、手続きさせすれば自動的に各々の学校に受け入れてもらえます。

次のステップの高校ですが、日本のような受験システムではなく、内申が重視されるシステムです。名門校などは、内申が20点満点中16点あたりで足切りされ、折角クラスメートらと一緒に高校に上がれる、と思っていたのに肩叩きされ、空きがある高校に転校を余儀なくされることも多いそう。
日本の受験制度もエグイけれど、フランスの制度も結構厳しいんだなぁ。

……そこで兄猿よ、君どーすんの?
あと2年半あるとはいえ、このままだとマズイよ、君。
君の学校は私立だから小学校から中学に行くときにかなり肩叩きするらしいよ。
「ぼかぁ、この学校大好き」
って内気な君が言うほど好きな学校なのに、外に出されちゃうよ。

父親は、
「いいか、勉強するといろんなことが分かるようになるし、面白い友達もできるから、La vie est belle(楽しい人生が待ってる)。でも勉強しないと何にもわからないままで、悪い友達しかできなくて、La vie est triste (悲しい人生さ)」と諭そうとします。ちょっと哲学的な感じがフランス的ね。でも兄猿、分かるのかしら、この説教のポイント。
案の定、兄猿、一瞬ポカーンとしたあと、無言でご飯を食べ続けます。
「わかったの?」
と母猿が問い詰めると
「うん、聞いてたよ、お代わりください!」
……母猿無言です。
宇宙ステーションより撮影されたパリ・ロンドンの夜景だそうです。©ESA
翌朝、私も珍しく3時過ぎに目が覚めてしまって、「あぁ、兄猿よ」と彼の悲しき人生を憂い、ふと窓の外見るときれいな満月が。これもあって目が覚めたのね。

そして朝が来て、寝不足の不満を兄猿にぶつけようと
「ママ、眠れなかった。なんでかわかる?アンタの将来を思うと不安で眠れなかった」
というと
「ボクだって眠れなかったんだ」
と打ち返す兄猿。
「でね、眠れないからカーテンの隙間から外を観てたら、流れ星を見たんだよ。だからいいよね?」
母猿「???」
「流れ星にお祈りしたから、もう大丈夫だと思う」

これはポジティブ・シンキングと呼ぶのでしょうか。
せめていつまでも、この図太いがまでの能天気さを失うことなく、人生を航海してもらいたい、と切に願う母猿です。







2013年10月15日火曜日

我がまま一杯の誕生日


ワタクシごとですが、先日46歳の誕生日を迎えました。

日曜日だったということもあり、寝ぼけた頭で教会のミサに行きましたが、コミュニオンのあと、そんな寝ぼけ頭で思い浮かんだ祈りは、「46年間ありがとうございます」。
ただただありがとう、ありがとうと感謝することしか思い浮かびませんでした。

ミサのあとは、まだ余韻があって、慎ましく……と言いたいところですが、日曜日の母猿は大忙しなのです。帰ったら、アイロン、洗濯、昼ごはん。その上、今日は誕生日も祝わなくてはいけない。

教会を出た途端、「忙し忙し」モードに切り替わり、いつものようにパン屋によって、バゲットを買う夫に、「私の誕生日ケーキ買わなくちゃよね」と言うと「知ってる知ってる」。
というのも、ティーンの頃の私を知っている人なら驚くと思うのですが、40あたりから辛党に変身したのです、私。誕生日ケーキも、子猿たちが喜ぶから儀式に則って買ってもらおうと思ったわけで。
子猿のチョイス……
でもごめん、どうせ甘いの食べるならモンブランが好きなの
そのあと花屋の近くを通ったので、「私に花も買わなくちゃよね」とまたまた夫に言うと「知ってる知ってる、でもあとで買おうと思ってた」
……私がすごーく怖い人みたいですが、お祝いに花を買うのもお決まりで、子猿たちがそうしないとがっかりするだろうから、それなら今ついでに買っちゃえば、みたいな、そんな感じなのです。

家に戻り、シャンパンならぬスパークリングワイン、これも寒い今日この頃ですので、別に飲みたくないけれど、これもお決まりだからね、と冷蔵庫の奥で冷やし、家族が盛り上がるように、自分の誕生日を演出するわたし。

そして時は既に昼どき。今日は夫が好きなビフテキです。
それに添えるジャガイモのソテーを仕込み、さて、サラダ

……と思ったところで、何だかバカバカしくなってしまった。
低気圧ぐわわーんと接近したような、そんな感じでした。
そして、ワタクシ、全てを放棄しました。
ステーキだって、私食べたくないし、サラダだって、別にいらない、今日はもうやーめた!って。

そんなところで夫と子猿がプレゼントを持ってきてくれました。
子猿たちはカード。うんうん、それぞれの個性が出ていていい感じ。ありがとう。


「ママが好きな物の絵」らしいです。
下で私らしき人が振り回しているのは一升瓶?
そして夫。
「お願いだからなにも買わないで」ってお願いしたのに、また買ってきた。そして例によって、私が着ないような服。
子猿の手前もあるし、今年は悪いけれど、お店にいって違うものと代えるぞ、と、もらった瞬間に決めたので、笑顔で「ありがとう」といいました。
そしたら、ちび猿がプレゼントの中身をみて、
「パパ、ママはこういうの着ないよ」
だって。
兄猿も
「ママはパジャマが欲しい(パジャマならどんなのでも着れると思ったから)って言ってたのに、どうしてブラウスあげるの?」
だって。
よくわかっている、よく聞いていること。怖いね、子供。

でも、そしたら夫も、「うん、そうかなと思って、ほら」
と彼からのバースデーカードの裏を見ると、
「返品可能、ギフトクーポン、好きなものを選んでもよし」と手書きで書いてある。

知り合って13年。もうわかってたのね、過去のプレゼントに殆ど袖を通していないこと。それでも何か贈らなくてはいけない、という呪縛があるのかなぁ、フランス人ってやつは。

このあと、久しぶりにバガテル庭園に行って誕生日はおしまい。

こんな普段着な、我がまま言い放題な誕生日を迎えられる私はほんとに幸せ者です。
一重に夫、家族、そして皆々様に感謝です。

どうぞ懲りずに、お付き合いのほど、よろしくお願いいたしますです。



2013年10月9日水曜日

久々の徒然

何かを書きたいのですが、あまりの秋晴れ、そして突然できた一人時間がうれしくて、頭の中が散文的な今日(今はもう昨日)。そんな一日のフォトログです。



まずはずっとアップしたいと思いつつ、いつも写真を撮るのを忘れていたPiscine de Molitor。写真の左側です。
モザイクが美しい市民プールだったのが、長いこと閉鎖され、現代アートという名の落書き (それぞれをクリックするとそれらしい写真に行きます)がされたり、パリ市とドコドコの協会が喧嘩したりして、25年くらい放置されていたとか。
それが漸く工事が始まったのが昨年のことでした。
ほぼ同時期に、隣接する(写真の右側にあります)にラグビーのスタジアムが改築され、辺り一帯、醜い醜い工事現場となっていたのです。

これがまずラグビーのスタッドが出来上がり、
カイコの繭のようなStad Jean Bouin
上の写真が分からないでしょうが、プールの外壁も随分形となってきて、ここに来て道を狭めていた鉄板が取り除かれそうな動きがあります。

子猿たちの学校から駅に向かうときの通り道なのですが、ここに来て少しずつ長かったトンネルの向こうに薄日が見えてきた感あり、です。
工事現場状態に慣れていたけれど、こうしてすっきりしてくると、心のもやが晴れていくような軽やかな気持ちになります。
人間って単純ですね。

ついでに、その他の写真を載せちゃいます。
月曜の子猿ランチ
お昼ご飯の後、猿2匹とアヤネちゃん
(たぶん、フランスでは木に登ってはいけないのだと思います)
秋晴れは影も涼しげ
空の青を受けたような100%な青!
その他、友人に頼んで持ってきてもらっちゃった、水村美苗さんの「私小説」の2ラウンド目です。
1ラウンド目はせっかちだから、ぶんぶんすごいスピードで読んじゃうのです。普通の本は終着点が分かれば満足なのですが、現代文学のような本は落ち着いてもう一回読みたいのです。
色々、いろいろ思うところある「私小説」。また別の徒然で書くことでしょう。

さて明日は水曜日。
ちょっと気楽で(子猿たちの学校がないから)
ちょっと大変(街中にある日本語補習校に連れて行くから)
な一日です。
補習校の図書館で、漱石の明暗と朝吹登美子を探すのが楽しみ。あるかなぁ。

みなさまも、どうぞ良い残りの一週間をお過ごしくださいね。

追記: ニュースダイジェスト誌のサイトに掲載していただいている「伯爵夫人のマナーブック」、第6回、「フランス人を家に招く」がアップされました。こちらもどうぞお時間あるときにでもご笑読くださいませ。

2013年10月3日木曜日

フランスの教育の意図するところ……

先日、ちび猿の予防接種のため、小児科医の予約を取ったときの会話です。

「あら、マダム Ca va? 予防接種ね、9月は大忙しなのよ。20何日の午後5時なら来れる?」
「スミマセン、5時は無理なんです」
「じゃ火曜日は?」
「いえ、毎日無理なんです。夜7時頃だったら大丈夫なのですが」
「……7時まで忙しい子供って、なんじゃそれ。ぶつぶつ。ま、C’est la vie a Paris!(パリの子供たちなんてそんなものよね) OK, では来月になるけれど水曜日のお昼なんて、大丈夫なんだっけ?」
「はい、うちは学校がないので大丈夫です。」

ということで無事予約が取れ、受話器を置きながら、ふと私も自問自答。
「毎日7時まで忙しい子供って、ホント、『ナンじゃそれ』だよね」

タクの子猿たち、まだ小1と小3なのに、朝8時に校門くぐって、授業の後は学校で柔道の稽古やらエチュードと言って集団で宿題をやるのに参加させているから、お迎えは夕方6時過ぎ。

日本の子供たちも、まぁ塾とかで忙しいと聞いてはいるけれど、夏に帰省していた時に見た限りでは、学校は1時から3時くらいの間の終わって、それから5時まで公園でのびのびと遊んでいたのと比べると、パリの子供たちは自由が少ないよね。

「ぼか、遊びたい」
そして昨日、水曜日が、この予防接種の日でした。
朝、ピアノの練習して、ピアノのお稽古が始まって、終わってから小児科医に行って、お昼食べて、日本語補習校に行って、授業の後、図書館で図鑑やマンガを観て、帰ってきてお風呂入って、少し遊んだところで「ご飯よ~」。
そんな中々、多忙な一日でした。

ご飯にチビ猿がこないので見に行くと、ちび猿、ソファーでうつ伏せになっている。予防接種の副作用で熱でもあるのかと思って「どうした」聞くと、涙目になって、
「ぼか、かなしい。全然遊んでいない」
と大嘆き。
いやぁ、間々に十分遊んでいたと思うよ。
でも、まぁ毎日のことを思えば、確かにダラダラ遊ぶ時間が少ないよね、小学生になってから。


そんな今朝の新聞のニュースは、
「学校4.5日制度導入、悲惨な事態!」
とありました。

フランスでは、幼稚園・小学校は、月・火・木・金の週4日制だったのが、この9月の新学期より週4.5日制になりました。余りに急な改革だったので、多くの地区(子猿たちの学校区も)では来年度より導入することになっていますが、パリでは既に4.5日制開始。

改革の表向きの理由は、1日の就業時間が8時過ぎ~16時過ぎまでと長過ぎて、子供への負担が大きすぎる。だからそれを分散する、ということですが、新しいカリキュラムでは、子供たちは、15時までは今まで通り授業をして、15時から16時半までは、学校で、図工とか、スポーツなどのレクリエーションをする、と言うことになっただけ。
子供たちにとっては結局、学校にいる時間は変わらない。学校にいる限り、自由ではないよね。

受け入れる先生たちの反発ももの凄いようで昨日は大規模なストがあったらしい。

では親たちは、というと、これまた慣れないリズムに、何が利点なのかまだ見えないこの教育改革に不満たらたら。

政府がそれでもこの改革を推し進めた本当の理由は、子供を親から離させるためと思う。

パリもニューヨークに負けないほどゲットー化が進んでいると言われます。

そしてゲットー地域では貧困の差、文化・宗教の差、など色々な理由から、子供たちの教育レベルに関しても、親が放任していたり、仕事で忙しくて観てあげられない、他人を雇う余裕もなく、一方プルジョワ地域では、親も子供をエリート路線に乗せるべく勉強勉強と煩くし、家庭教師などを雇っている。このように子供たちの教育も両極化していて、益々ゲットー化に拍車をかけている、という。だから子供の教育は我ら共和国がするから、親は仕事でもしていなさい、という。

なんかねぇ。
一理あるけれど、教育ってそんなに一律化できないと思うんだよなぁ

大体、情操教育とかさ、丸ムシなんですよ、フランスって。
日本の「先生」の定義と違って、フランスの「先生」は「=教える人」、学業のみを教える人なのです。それ以上のもの、例えばちょっとしたしつけ的なこと、カウンセラー的な役目などは期待してはいけないのです。子供との距離感もしっかりと取っている。そういう役目の人がする教育と、親がする教育をごっちゃにしてはいけないと思うんだけど。

こんな方法の下大人になった子供たちが運営する将来フランスって、やっぱりクリエイティブでいられるかしら。美の大国でいられるかしら。

……心憂う母猿です。